世界一を駆ける二輪。
その歴史に、名を刻む。

世界一を駆ける二輪。
その歴史に、名を刻む。

海外営業(二輪)

寺本 耕二

二輪事業本部/営業部/主任
※インタビュー内容は取材当時のものです。

大学卒業後、大手自動車メーカーに就職。約5年間、二輪の海外営業としてキャリアを積み、2007年にHondaの中途採用にエントリー。入社後は二輪営業部門に配属され、以来、アジア・オセアニア地域の海外営業(二輪)を務める。2012年4月にベトナム駐在。2017年3月に帰国し、現在は営業二課に戻りグループリーダーとして現地支援に尽力している。

- 職種内容とやりがい -
今日の挑戦が、明日のHondaをつくる。

- 職種内容とやりがい -

今日の挑戦が、
明日のHondaをつくる。

ここからHondaの新しい歴史が始まる。そう思うと、息が止まりそうだった。ようやく、ベトナムの輸出拠点が稼働し始めたのだ。ベトナムで生産されたHondaの二輪がヨーロッパに渡り、アメリカにも渡り、そして日本にも渡っていく。正直、こんな大それたプロジェクトを担当するなど思ってもみなかった。Hondaは間違いなく、世界No.1の二輪メーカーだ。ホンダグループの年間販売台数は1800万台。ベトナム、タイ、インドネシアにいたってはシェア70%以上という数字を叩き出している。なかには『ホンダ』がバイクの代名詞となっている国もあれば、「戦争で命を救われた」という伝説が語り継がれる国もあるくらいだ。そんなHondaの1ページに、自分の名前が刻まれる。大げさかもしれないが、最初の1台を見送ったときにはシビれるものがあった。少なくとも、自分の爪痕は残せたはずだ。

ベトナム駐在が決まったのは入社6年目。初めての現地勤務。心が躍った。ベトナムは最重要市場。バイクは生活者の足であり、インフラであり、資産でもある。海外営業として、これほど腕が鳴る舞台はない。だが、その1ヵ月後、私は重責に押しつぶされそうになっていた。託されたのは、Hondaの今後を左右する輸出拠点プロジェクト。もちろん経験はない。ベトナムを熟知しているわけでもない。同僚の名前すらおぼつかない状況だった。「え?自分でメンバーを集める?」「え? 自分でメンバーを引き抜く?」そんな難問が次から次に襲ってきた。上司の熱い指導も飛び交った。「お前、なめてるのか!そんな人数で実現できるわけねぇだろ!」「バカ野郎!うちのエースを貸してやる!」Hondaには組織の歯車でいられる仕事はない。一度任されたら、すべてを考え抜き、やり抜かなければならない。私は社内を駆けまわった。「税関に精通している人がいる」「輸出と言えばあの人しかない」そんな話を聞くたびに、部長や本人を口説きまくった。たとえ断られても食い下がった。こうして築き上げたチームは、まさに最高のチームだったと思う。コアメンバーは各国の法律や価値観を吸収しながら、Hondaのアイデンティティを織り込みながら、見事にプロジェクトを成功に導いたのだ。

あれから4年。今、私は日本で現地のサポートに従事している。部品調達、契約締結、評価会実施などを支援し、ときには現地政府系企業との交渉に尽力することもある。私の使命は、国内からベトナム、タイ、ラオス、カンボジアの海外二輪事業を支えること。現在は、部下の教育という新しい挑戦も始めた。まだ日本での生活は戸惑いも多いが、ときどき職場に向かう道すがら胸を打たれるときがある。1台、1台と自分の前を通り過ぎていく、あの日、自分がベトナムで見送ったバイク。現地は、遠い。でも、近い。Hondaをより多くの人に届けるために、今日はなにをしでかそう。心なしか、足取りは軽い。

- キャリアストーリー -
攻めなければ、No.1は守れない。

- キャリアストーリー -

攻めなければ、
No.1は守れない。

私には運命の1台がある。その名前は『Air Blade』。まさに自分の人生を変えた1台だ。その出会いは前職時代。競合商品の研究会だった。扉を開いた瞬間、度肝を抜かれた。「なんだこれは」「こんなのありか」何度も何度も心のなかで叫んだ。二輪の歴史は長い。だからこそ、ある種の“骨格”がある。ホイール、フレーム。お決まりごとをあげれば切りがない。しかし、Hondaはそんな常識をさらりとぶち破っていた。かろやかに。そして苛烈に。「同じ二輪の仕事をしていて、こうも違うのか」。その佇まい、先鋭的なデザインに私はぶちのめされた。機能やスペックの凄さは分からない。でも、触ってみたかった。またがってみたかった。モノづくりの楽しさを嫌と言うほど詰め込んだモビリティ。これは売れると思ったし、実際そうなった。今思えば、この出会いがすべての始まりだったと思う。30歳になった私は「最後の転職機会」とチャンスを求め、Hondaはその求めに応えてくれた。あのHondaで勝負したい。二輪世界No.1の会社で自分の力を試したい。内定をもらった瞬間、迷いはなかった。食らいついていくと決めていた。

入社後は、なんにでも挑戦した。商品企画、生産、宣伝、販促。クルマづくりのすべてに携わった。デザインにも口を出したし、CMにも口を出した。そして、そのなかのひとつがあのAir Bladeだった。運命の1台のフルモデルチェンジ。当然、熱が入った。Air BladeはHondaの主力商品。失敗すれば事業が傾く。正直、胃に穴があきそうだったが、私は最初から最後まで攻めの姿勢を貫いた。ありきたりなものはAir Bladeじゃない。ターゲットを従来から狭く絞り、これまでの成功体験を捨てるようスタッフを説得し続けた。怖いのは私だけじゃない。「本当に思い切っていいんだな?」そんな声があがるのも当然だった。「やりましょう。尖ってこそのAir Bladeですから」。自信はあった。でも、怖くてたまらなかった。それが安堵に変わったのは発売直後。「これまでのものを超えている」「こういうのを待っていたんだ!」そんなお客様の声が届き始めたときだった。

Hondaは大きい会社だ。でも、決してスマートなんかじゃない。入社前は「あんな斬新なものをさらりと出すなんて」と思っていたが、その裏には泥臭くて、汗臭い物語がわんさかあるのだ。失敗したいという人間はいない。たとえHondaであろうと、尖ったものをつくるのには勇気がいる。それはどの会社も同じだ。しかし、私たちが唯一違うのは、誰ひとりとして失敗を笑う人間がいないということ。むしろ、失敗を恐れてなにもしないことの方が笑われる。これから先、私は何度も何度も失敗するだろう。そして何度も何度も立ち上がるだろう。攻めなければ、No.1は守れない。攻めなければ、世界中のバイクファンを魅了することはできない。Hondaに入社して10年。この想いを裏切られたことは一度もない。

column

Hondaの海外営業(二輪)

各地域の現地法人や販売代理店に対する、製品輸出、需給調整、商品企画、戦略企画立案・推進サポート、契約交渉・管理、事業管理 をグローバルに展開する。海外出張、海外駐在の可能性あり●仕事詳細:海外現地法人・販売代理店に対する製品・部品の輸出、需給調整/現地販売戦略企画サポート(市場調査・販促サポートなど、営業活動に関わる業務)/現地における商品企画ならびに、コトづくり、プロモーション戦略企画/契約交渉、管理、対価回収/事業管理マネジメント業務など