ホンダイズム
創業者・本田宗一郎が語った、「世のため人のため、自分達が何かできることはないか」という志は、言い換えれば夢をいかに高く持つか、いかにその実現に向けて情熱を燃やし続けるかということ。
これがHondaイズムの原点です。
今後も、世の中の役に立ち、たくさんのステークホルダーの皆様と喜びを共有するために、時代のニーズを先取りし、独自の技術でモビリティ社会の発展に貢献することを目指します。
Hondaは創業以来、終始一貫「松明は自分の手でかかげてきた」企業です。
それはすなわち、まだ誰も歩いたことのない新しい道、
茨の生い茂る未踏の地を自らの手で切り拓き、“大いなる志という松明”を赤々と燃やし、
その松明を自分で掲げながら、これからもHonda独自の道を進みたいと考えています。
Hondaには、「各個人の能力に差はなく、違いだけが存在する」という考え方があります。
従って、個々の能力の優劣よりも、各人が持てる力をいかに発揮するかということの方が重要。
組織として最大限の力を生み出すためには、それぞれの個性を認め合い、
その持ち味を充分に発揮できるように努めることが大切だと考えています。
目標を100%におく場合、人間のすることですから、事実1~2%の不合格は免れ得ません。
しかし、その1台を買ったお客様には、Hondaは、100%の不良品をお売りしたことになってしまう。
1人の例外もなしにご満足いただき、信用していただくためにはいかなる困難をも克服し、
120%の良品をつくらねばならない、と私たちは考えています。
本田宗一郎が残した言葉です。
「私はいつも、会社のためにばかり働くな、ということを言っている。君たちも、おそらく会社のために働いてやろう、などといった、殊勝な心がけで入社したのではないだろう。
自分はこうなりたいという希望に燃えて入ってきたんだろうと思う。自分のために働くことが絶対条件だ。
一生懸命に働くことが、同時に会社にプラスとなり、会社を良くする」(後略)
Hondaは社員一人ひとりのやりたいこと、個人の想いが先にある会社です。
もちろん、利益は大事です。でも、そのために仕事をしている訳ではない。
一人ひとりの夢や志を具体化する場がHondaという場であって、「科学技術で社会に貢献すること」を最大の使命だと考えている会社です。
資本が大きくなれば仕事ができるという考え方は、人間性を無視した資本主義の負の側面だと私たちは考えています。
「企業は人なり」金や物は大したことじゃない。金をいくら持っている企業でも使えば無くなる。
結局はそこに働いている人の努力と、その人々が理論とアイデアと時間をいかに生み出せるか、そのことによって企業は大きくなれるものだと考えています。
人には様々なタイプがいます。得意分野も人それぞれです。
だからこそ、自分の得意とすることには、積極的に取り組むべき。そうすることによって得意が、さらに磨かれ、個人としての能力が高まり、組織としても強くなる。
自分を認めてもらうこともできる。
そのためには、「自分はこういう考え方をしている」という意思表示をすることがもっとも大事だと考えます。
現場で「見たり」「聞いたり」「試したり」がいちばん大事なことだと私たちは考えています。
中でも試して失敗して、「どうして失敗したんだろう」と考え、その理由に気づいたときがいちばん身にしみる。
「お前はいろいろ失敗したが、だけど、こんな大きな仕事もしたじゃないか」と評価され、自分自身で誇れる生き方、これが充実した人生だと思います。
「うちは(創業社長の)私を含めて全員が社員だ」と、力説してやまなかった本田宗一郎。
事実、本田技術研究所では一般社員も役員も社長も同じ純白の作業服で通しました。
また「技術の前ではみな平等だ。問題はアイデアの中身だ」という精神は脈々と引き継がれ、会議の席上においても、資格、肩書きを抜きにした議論が日々行われています。
「能率とは、プライベートの生活をエンジョイするために、時間を濃くすることである」。
つまりは一日二十四時間という延ばしようのない時間の中で、アイデアと工夫によって働く時間の密度を濃くし、より多くの自分の生活を楽しむ時間を生み出す。
そして、遊びも自らのアイデアと工夫で、思いっきり楽しむ、それがHonda流です。
失敗を恐れて何もしなければ、そこに進歩は生まれない。
たとえ失敗してもそれを乗り越えるところに新たな知恵が生まれてくるもの。
臆病な態度でそこに停滞するのは、相対的な退歩とも言えます。
Hondaでは行動しない慎重さを厳しく戒める考え方があり、チャレンジ精神や行動を重んじています。
Honda でプロジェクトが走り出すときに、一番はじめに議論されるもの。
「これは、どんな世界を実現するための仕事なのか」
最後まで絶対にぶれないための指針、コンセプトといってもいいかもしれません。
それを、Honda では「A00」と呼びます。壁にぶち当たったとき、意見が食い違ったとき、常に立ち返りすべての判断基準となるもの。Honda の魂、それが「A00」です。
「ワイガヤ」とは、「夢」や「仕事のあるべき姿」などについて、年齢や職位にとらわれずワイワイガヤガヤと腹を割って議論するHonda独自の文化です。
合意形成を図るための妥協・調整の場ではなく、新しい価値やコンセプトを創りだす場として、本気で本音で徹底的に意見をぶつけ合う。
業界初、世界初といった、Hondaがこれまで世に送り出してきた数々のイノベーションも、ワイガヤで本質的な議論を深めるところから生まれています。
創業者・本田宗一郎が語った、「世のため人のため、自分達が何かできることはないか」という志は、言い換えれば夢をいかに高く持つか、いかにその実現に向けて情熱を燃やし続けるかということ。これがHondaイズムの原点です。今後も、世の中の役に立ち、たくさんのステークホルダーの皆様と喜びを共有するために、時代のニーズを先取りし、独自の技術でモビリティ社会の発展に貢献することを目指します。
Hondaは創業以来、終始一貫「松明は自分の手でかかげてきた」企業です。それはすなわち、まだ誰も歩いたことのない新しい道、茨の生い茂る未踏の地を自らの手で切り拓き、“大いなる志という松明”を赤々と燃やし、その松明を自分で掲げながら、これからもHonda独自の道を進みたいと考えています。
Hondaには、「各個人の能力に差はなく、違いだけが存在する」という考え方があります。従って、個々の能力の優劣よりも、各人が持てる力をいかに発揮するかということの方が重要。組織として最大限の力を生み出すためには、それぞれの個性を認め合い、その持ち味を充分に発揮できるように努めることが大切だと考えています。
目標を100%におく場合、人間のすることですから、事実1~2%の不合格は免れ得ません。しかし、その1台を買ったお客様には、Hondaは、100%の不良品をお売りしたことになってしまう。1人の例外もなしにご満足いただき、信用していただくためにはいかなる困難をも克服し、120%の良品をつくらねばならない、と私たちは考えています。
本田宗一郎が残した言葉です。「私はいつも、会社のためにばかり働くな、ということを言っている。君たちも、おそらく会社のために働いてやろう、などといった、殊勝な心がけで入社したのではないだろう。自分はこうなりたいという希望に燃えて入ってきたんだろうと思う。自分のために働くことが絶対条件だ。一生懸命に働くことが、同時に会社にプラスとなり、会社を良くする」(後略)
Hondaは社員一人ひとりのやりたいこと、個人の想いが先にある会社です。もちろん、利益は大事です。でも、そのために仕事をしている訳ではない。一人ひとりの夢や志を具体化する場がHondaという場であって、「科学技術で社会に貢献すること」を最大の使命だと考えている会社です。
資本が大きくなれば仕事ができるという考え方は、人間性を無視した資本主義の負の側面だと私たちは考えています。「企業は人なり」金や物は大したことじゃない。金をいくら持っている企業でも使えば無くなる。結局はそこに働いている人の努力と、その人々が理論とアイデアと時間をいかに生み出せるか、そのことによって企業は大きくなれるものだと考えています。
人には様々なタイプがいます。得意分野も人それぞれです。だからこそ、自分の得意とすることには、積極的に取り組むべき。そうすることによって得意が、さらに磨かれ、個人としての能力が高まり、組織としても強くなる。自分を認めてもらうこともできる。そのためには、「自分はこういう考え方をしている」という意思表示をすることがもっとも大事だと考えます。
現場で「見たり」「聞いたり」「試したり」がいちばん大事なことだと私たちは考えています。中でも試して失敗して、「どうして失敗したんだろう」と考え、その理由に気づいたときがいちばん身にしみる。「お前はいろいろ失敗したが、だけど、こんな大きな仕事もしたじゃないか」と評価され、自分自身で誇れる生き方、これが充実した人生だと思います。
「うちは(創業社長の)私を含めて全員が社員だ」と、力説してやまなかった本田宗一郎。事実、本田技術研究所では一般社員も役員も社長も同じ純白の作業服で通しました。また「技術の前ではみな平等だ。問題はアイデアの中身だ」という精神は脈々と引き継がれ、会議の席上においても、資格、肩書きを抜きにした議論が日々行われています。
「能率とは、プライベートの生活をエンジョイするために、時間を濃くすることである」。つまりは一日二十四時間という延ばしようのない時間の中で、アイデアと工夫によって働く時間の密度を濃くし、より多くの自分の生活を楽しむ時間を生み出す。そして、遊びも自らのアイデアと工夫で、思いっきり楽しむ、それがHonda流です。
失敗を恐れて何もしなければ、そこに進歩は生まれない。たとえ失敗してもそれを乗り越えるところに新たな知恵が生まれてくるもの。臆病な態度でそこに停滞するのは、相対的な退歩とも言えます。Hondaでは行動しない慎重さを厳しく戒める考え方があり、チャレンジ精神や行動を重んじています。
Honda でプロジェクトが走り出すときに、一番はじめに議論されるもの。「これは、どんな世界を実現するための仕事なのか」最後まで絶対にぶれないための指針、コンセプトといってもいいかもしれません。それを、Honda では「A00」と呼びます。壁にぶち当たったとき、意見が食い違ったとき、常に立ち返りすべての判断基準となるもの。Honda の魂、それが「A00」です。
「ワイガヤ」とは、「夢」や「仕事のあるべき姿」などについて、年齢や職位にとらわれずワイワイガヤガヤと腹を割って議論するHonda独自の文化です。合意形成を図るための妥協・調整の場ではなく、新しい価値やコンセプトを創りだす場として、本気で本音で徹底的に意見をぶつけ合う。業界初、世界初といった、Hondaがこれまで世に送り出してきた数々のイノベーションも、ワイガヤで本質的な議論を深めるところから生まれています。